ジャパン・カップのレースが終わってから二日経った。

 久しぶりにブログで書きたいほどの興奮を覚えるレースだったのだが、ブログはもう更新しないと宣言したことと、私と同じような見解を書かれる方々がたくさんおられることだろうと思い書かなかった。

 しかしスポーツ紙や競馬関連ブログを見ても(全て読んだわけではありません)私が最も強く印象に残った事柄に関しては書かれていないように感じたので、簡単にではあるが自分が受けた印象を記録しておこうと思った。


 外にヨレたヴィクトワールピサやエイシンフラッシュの影響がローズキングダムやブエナビスタに伝わったと感じた。そしてそれを最も敏感に感じたのが牝馬であるブエナビスタだったのだと。

 だからブエナビスタは手前を変え更なる加速をしてそれらの馬たちの前に出ようとして内に切れ込んでしまった。

 私が注目したのはJRAの裁定が遅いことや、それによる降着という結果でもない。

 あれだけの不利を受けたにもかかわらず、オーバーなしぐさも見せず、ただひたすらゴールを目指して人馬一体となって疾走した武豊ジョッキーとローズキングダムに感銘した。

 昨今審議のランプがともることがやたら目につく。それ自体は審議の対象となる事態があったことをまさに”審議”するのだから悪いことではないと思っている。

 ただ、不利を受けたことをアピールするためかどうかはわからないが、必要以上に手綱を引くという行為をするジョッキーが多いというのが問題だと感じていた。

 たとえ不利を受けたとしても競馬というものは馬券を買ってくれている人々によって成り立っていることを忘れてはならない。

 だからジョッキーたるもの不利を受けたとしても出来るだけ馬に影響を与えずひとつでも上の着順を目指してレース中は最善をつくしてほしいと願っている。

 そんなときに武豊が見せてくれたパフォーマンスに興奮した。

 彼は受けた不利をアピールするのではなく、最小限のアクションで切り抜け、レースを続行し、ゴールを目指すということに徹していた。

 その結果がハナ差だけヴィクトワールピサをかわしてゴール出来たということにつながったのだと。

 

 ブログでいろいろ書かれている方々の中には不利がなかったとしてもローズキングダムはブエナビスタに先着出来なかっただろうとか、ブエナビスタの鞍上が日本人ジョッキーだったら裁定が違っていたのではないかといったような意見もあったが、それはそれで個人の見解として意義をとなえるつもりはないが、勝利を目指して最善と思われる努力をしている”本物の騎手”の姿を見せてもらったことが私には一番強く印象に残った。


 今を生きている”伝説”の騎手「武豊」、彼の父親の現役時代と彼がデビューしたときを知っていることを誇りに思えることが自分自身うれしく思う。


 

 ブログというものを更新しなくなって何年経ったことだろう。


 まったく更新しなかったわけではないにしても、たまに旅をした思い出などを記事にしようとしても、書いている途中でむなしくなり、無理やりアップしただけのものだった。


 今までにも何度か、「これが最後です」といったようなことを書いたことがありましたが、今回はこれが本当に最後の更新です。


 人と人との出逢いというものは必然的なものだと今でも信じていますが、それが自分の意思だけで行動出来た時期であるかどうかで人生というものは大きく変わってしまうものだということも、このブログというもので知りました。

 

 私に人生といえるものがあるなら・・・・


 このブログは今日を最後に更新はしませんが、私にとって”悔恨と懺悔”の意味を込めて決して忘れることのない人生のページとして今後も残して置きます。





 

 


 

I have a Dream、本日をもちまして

The end


ありがとうございました!

 急に旅がしたくなってGWの後半4日から12日間AUSTRALIA経由でNEWZEALANDに渡り、DUNEDINとAKAROAを訪れてきた。

 

 DUNEDINはスコットランド以外で最もスコットランドらしい街と呼ばれるだけあって、質素でいて品格のある街だった。

 そしてAKAROAはNZにしては珍しい、フランス人入植者たちが築いたこれまた美しい入江にたたずむこじんまりとした好みのリゾート。

 

 旅の思い出はまた後日じっくり触れるとして、まずはAKAROA湾の雰囲気がよく出ている写真を展示しておきたい。

 

 まだまだ世界中には美しい街がいくらでもあるのが嬉しい。



I have a dream-AKAROA1 NZ


遊歩道のすぐ脇がもう海、入江の奥深い場所に街があるため、波はおだやか。





I have a dream-akaroa3 NZ



I have a dream-AKAROA4 NZ


お世話になった”PENLINGTON VEWS B&B” B&Bでありながら1フロア、3LDKを自由に使えるように設計してくれているのが素晴らしい。ちょっと急な坂道を登らないといけないけれど。



 自分が気に入る音楽との出逢い。


 若い頃ならいざ知らず、歳をくってから出逢える音楽なんてのはそうはないのが現実だ。

 ましてやそれが20代の女子三人のバンドだとは。


 10月のある週末の深夜、NHKのBS2になんとなくチャンネルをあわせたとき。

 それは衝撃的に飛び込んできた。

 それは70年代に受けた衝撃と同様のものだった。

 バンドの名前もなにもわからないまま演奏するスリピースガールズロックバンドに聞き惚れ、見惚れた。


 バンドの名は「チャットモンチー」。


 若い人にはとっくに有名らしく武道館を満員にしていた。


 とにかく迫力があった。


 大音量とか大掛かりな舞台装置とか、そういう次元の迫力というのではなく、彼女たちの演奏そのものからメッセージが勝手に伝わってくるのだ。


 あっという間の1時間だった。

 

 圧倒的オリジナリティなのに演奏からはジョン・フォガティのヴォーカルではないけどC・C・Rを感じたり、G・F・RやQUEENをステージに一瞬見たような気分になった。


 もちろん彼女たちの音やスタイルにコピーなどが入っているわけではない、あえて表現するなら彼女たちから出ている オーラ がそんな気分にさせてくれたのだろう。



 女性らしい視点でとらえた作品や鋭い切り口のプロテストソングが迫ってくる。


 そして、なぜ彼女たちのメッセージが年齢を超えて素直に私に伝わってくるのかがわかった。


 彼女たちはあくまでもシンプルに、ギター・ベース・ドラムのみで演奏していて、そしてそこにこそ、彼女たちの強いメッセージが込められていることがすぐに理解でき、それが不思議な好感として伝わってくるのだ。


 音楽との出逢いでこんな興奮する体験は久しぶりだった。♪



 入院中の眠れない夜もヘッドフォンで聴きまくってた。



 

 好きな作品を数例


MAKEUP! MAKEUP!


モバイルワールド


世界が終わる夜に


東京ハチミツオーケストラ


ヒラヒラヒラク秘密ノ扉


   その他たくさん

 11月23日、日曜日の午後1時半ごろ、それは突然やってきた。

 久しぶりに勤務先の和歌山から帰ってきた息子のために昼食を作るために振っていた中華鍋を持つ右手とふんばっていた右足にしびれた。

 長時間正座をしたあとのようなしびれだった。

 だがしびれてはいるものの歩けないわけではない。

 右手のしびれも同様なのだが、持っている中華鍋が握れなくなって落としてしまうようなことはない。

 とりあえず椅子に座って様子をみることにした。

 1時間経ってもしびれた状態に全く変化はない、相変わらず右半身のみだ。

 これは左脳をやられた、そう冷静に分析している自分がいた。

 三連休の合間の日曜日ということもあり、近くの大学病院に行ったところで脳外科の専門医がいるとは思えず、たまたま知り合いに脳外科の医者がいたのを思い出し、電話した。

 とにかく脳の検査だけ至急にお願いしたいと頼んだ。

 自宅からその脳神経外科病院までは車で約20km、息子に連れて行ってもらった。

 すぐにMRIとCT検査。

 それからSCUに入れられ出血を止める点滴や血圧降下の点滴などが施され絶対安静状態。

 そのときの血圧は240を超えていたらしい。

 

 それから約二週間入院した後、無事退院することができた。

 視床神経を少し圧迫したことによる脳の損傷でしびれは今も全くとれてはいない。

 しかし処置が早かったおかげで半身麻痺や言語に障害は出なかった。

 

 体は見事に鼻の中心から右側全部がしびれているけれど、下手なりに字も書けるし歩くことも出来る。

 洗顔や洗髪は右手にグローブをはめたみたいな感覚だけど、こんなもの慣れればどうってことはない。


 医者も普通の生活を送ることが最善のリハビリだと言っていた。


 今はそういう心境であり状態といったところだ。

 

  


 「子供というのは、親が育てたようにしか育たない。」ものだということを最近学んだ。


 「親はなくても子は育つ。」という言葉も意見も存在するが、ここでいう意味はそういう次元の事柄ではない。


 世の中に生きている総ての人々を批判的に観るのではなく、その人々総てが、なぜそうなったのかを考えたと


き、「親が育てたようにしか育たない。」という言葉を、今自分が批判的にしか観ていない人々に投げかけたとき、


その人々に対する厳しかった眼差しがかなり和らいで見えるようになれた。


 言葉で語ることの大切さを痛切に学んだ瞬間だった。



 ※ ここでいう「子供」とは、未成年の子供たちのことだけを示しているのではなく、かつて親に育てられ、今は高齢者と呼ばれている人々や、現在子育てをしている人々など、それら総ての人々が「子供」なのである。




 久しぶりの更新がなぜこれほど哲学的な内容になってしまったのか、自分でもよく理解できない。


 そして、「ずっと一緒!」


 この言葉も素晴らしい表現だ。


 実はこれが言いたかった。


 若い頃は映画のオ-プニングとエンディングにかなりこだわりがあった時期もあった。

 そんなことさえ遥か昔に忘れてしまっってからさえ何年経ったことだろう。

 それが「ダイハ-ド4.0」の劇中でC.C.Rの「Fortunate Son」が流れ、エンディング・クレジットではフル・コ-ラス聴いた。

 そして「THE DEPARTED」のエンディング・クレジットではロイ・ブキャナン(Roy Buchanan)のスィ-ト・ドリ-ム(Sweet Dreams) がいきなり流れてきた。

 何十年ぶりだろう。

 目を開いてはいても、もはや画面など見てはいなかった。

 ただ懐かしさと、ロイ・ブキャナンの奏でる音の世界に浸った。

 音楽とは不思議なもので、ソフトバンク・ホ-クスにブライアン・ブキャナンが入団したときなどは、「今年はホ-クスの優勝で決まりだな、なにせ「メシアが再び」 注(メシアとは救世主のこと)が入団してきたのだから。」なんてことを思いながら、結局ロイ・ブキャナンを聴くことはついぞなかった。

 それがエンディング・クレジットでは体に電流が走る程の衝撃と懐かしさを感じるのだから。



 余談になるが、最近ディ-プ・パ-プルを聴いたときにはイアン・ペイスのドラムが最高によかったしC.C.Rを聴いたらジョン・フォガティのヴォ-カルが最高だし、自分が好きなギタリストはやっぱりロイ・ブキャナンかなぁ、なんてすぐ思うくらいだからリ-・リトナ-のギタ-聴いたらすぐに「こいつが最高!」と言い出すだろうと思っている。

 ちなみに今好きなベ-シストといえばQUEENのジョン・ディーコンかなぁ。

 

 

 たかが日本シリーズで4勝目をあげることが完全試合をあきらめさせるほどのことなのだろうか。

 「夢を売る商売」よく耳にする言葉だが、今夜のそれは「夢を見させない采配」だ。

 53年ぶりだかなんだか知らないが、こんな後味の悪い日本シリーズは記憶にない。

 まあセ・リーグで今年から始まったクライマックス・シリーズを最大限活用した監督が現役時代、選手会に所属していながら何も活動せずにいて、選手会が苦労してフリー・エージェント制度の権利を獲得したとき、真っ先にフリー・エージェント権を行使した人物だったことを思えばしごく当然のことか。


 監督の交代が決定した中で、来季の契約が宙ぶらりんのままコーチングしなければならなかったコーチ陣、両チームの選手たち、お疲れ様!


 ブログを更新しなくなって久しい。

 例外的に自分にとって衝撃的な出来事が起きたときは記憶にとどめておきたくて更新したことはあるけれど。

 

 人それぞれ個人差があるだろうが自分にとってのブログは”そこにある空間を楽しみたい”ということにつきる。

 それがだんだん出来なくなり、ある日から中段した。

 ブログを閉鎖してしまおう、何度も考えた。

 しかしそのこととは別に、アメブロで知り合った他の何人かの方々との”空間”を自ら断ち切ることはどうしても出来なかった。

 現実の世界で会っていなかったとしても、そこは自分自身にとっての”大切な空間”だと感じていたから。


 だからそれらを自ら断ち切るときっと後悔すると思った。 

 月日の流れはそれらの思いを徐々に薄めていってくれるものだと思っていたのだが・・・・

 

 自分の中での時間経過はそれを癒すにはにはまだまだ短すぎるようだ。


 自分なりにひっそりと元気を出して何人かの方々に久しぶりにコメントを書いてはみたのだが、元気を出すって難しい・・・・


 

 ※ 自分がコメントした方々には一切関係のない事です、誤解なきよう 

 さようなら

 

 2007年5月28日 この日を忘れない