ジダン選手が暴力行為(頭突き)について記者会見をするという。

 ジダン選手がマテラッツィ選手に何を言われたかという真相を明らかにしたところで、彼が犯した『暴力行為』という事実は何も変わらない。

 あのジダン選手が・・・といった意見も一部あるようだが、そんなことは今回の一件とは全く関係がない。

 試合中に暴力行為をはたらいた者が退場させられただけのこと。

 しかしジダン選手が会見でマテラッツィ選手からなにを言われたのかを明らかにすることは、今後試合中に限らず全ての場所において、許しがたい極めて深刻な『暴言』があったとしたのならば、今後こういった言葉による暴力を絶対許してはいけないということを提起するためには必要なことだ。

 そして当然のことなのだが、ジダン選手が行った報復的暴力行為について、彼のこれまでの功績や両親が移民だったことで苦労したというような生い立ちを理由にしたくだらない同情論に流されてはいけない。

 人格者だの、子供たちになんと説明すればいいのかなどという、メディアの前や偽善者しか口にしないような言葉を延々と吐き続けている人々も数多くいるようだが、サッカーW杯を観ているのは良家のお坊ちゃんお嬢ちゃんだけではない、世界中のいろんな国や地域の子供達が見ているのだ。

 現実社会のほんの一瞬の出来事であったとしても、暴力行為は許されないというのが世界共通ルールだと教えればいいだけのこと。

 

 どこかの外相や官房長官のように、報復手段のための準備についてならすらすらとしゃべれるのに、報復的行為をせずに問題を解決をすることについては、全然会話することすら出来ない人たちというのは、まるで魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)しているようだ。