「ねえねえ、ちょっと見てくれない?」

 仕事から帰宅すると、妻の成子はさっそくテーブルの上に大判のカタログを広げた。

 「これ、どう?」

 赤ペンで丸く囲んだ写真を指差して「かわいいよね」と笑う。

 七五三のレンタル衣装のカタログ、女の子用の晴れ着。成子が指差したのはグラデーションになった紅色の地に手まりや折鶴が裾模様になった着物だった。

 「かおりに見せたら、一発でこれを選んだの。すごく気に入ってるみたいだから、明日の朝イチで申し込んじゃっていいよね?」

 オレは、「うん、まあ・・・いいんじゃないか」と答えた。微妙に煮え切らない口調になってしまった。

 「どうしたの?」

 「・・・けっこう高いんだなあ、って」

 税込み三万千五百円。手取り三十万そこそこのオレの給料でしているわが家の家計からすると、かなりキツい。

 だが、成子は「だいじょうぶ」と笑う。

 「着物のお金とか美容院のお金はお母さんが出すって言ってたし、お父さんもお祝いははずむって言ってたから」

 笑い返す顔も微妙にこわばってしまう。

 一人娘のかおりのためにまとまった出費が必要になるときは、いつも成子の両親がお金を出してくれる。

 「お宮参りの前の記念撮影と、終わったあとのお食事会、だいじょうぶよね?」

 その費用も向こう持ち。

 かおりは成子の両親にとって初孫だ。一人娘の成子が産んだ、一人きりの孫。

 オンリーワンがダブルだから、大げさでなく、二人はかおりを目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれている。

 「それでね、お母さんの本音としてはもうちょっと有名っていうか、大きな神社でやってほしそうなんだけど・・・」

 「近所でいいんだよ、氏神さまなんだから」

 遠出なんてしたくない。晴れ着姿の娘を連れて観光地まがいの大きな神社に出かけるのはオレの美意識が許さない。なるべく軽く、さらりと、「こんなのシャレだよ、シャレ」と笑えるように。

 そんなオレの胸の内を察した成子は、「ふだん着はだめだからね」と釘を刺した。「せめてネクタイは締めてよ」

 オレは黙って肩をすくめた。

 

 アパートの前に行きつけの酒場がある。

 仕事が早じまいした夜には、毎晩のように入り浸っている。

 月々五万円の小遣いではとてもそんな贅沢はできないのだが、その店『ハセガワ』はちょっとしたワケありの店なのだ。

 「学ちゃん、ヘルプいいかな」

 カウンターで飲んでいたら、マスターが声をかけてくる。店の奥に設けられたステージでは、オレと同じ背広姿のサラリーマンがギターをかまえて指慣らしをしている。

 「なにをやるって言ってるの?」

 「クラプトンだって。クリームの頃の」

 オレはヘヘッと笑い、ステージに向う。

 初対面のパートナーに会釈して、ベースギターをかまえる。とてもエリック・クラプトンを弾きこなせるようには見えない相手だったが、まあいい、何曲か付き合ってやれば、これで今夜の飲み代は大幅割引・・・うまくすればタダになる。

 『ハセガワ』は最近流行の「ライヴができる居酒屋」だった。フォーク系とロック系に分けるなら、ロック系。

 ステージにはドラムスのセットも置いてある。

 カラオケに飽き足らない元ロック小僧のオヤジたちが夜な夜な集まっては、居合わせた客同士でセッションを楽しんでいるのだが、客のほとんどはギターやヴォーカルをやりたがるので、ベースやドラムがどうしても手薄になってしまう。

 そんな店側の事情と安く酒を飲みたいこっちの思惑とが合致してオレは専属ベーシストのような格好で出番を待ちながら飲んだくれているのだ。

 今夜のギタリストは、第一印象どおり下手くそだった。

 クラプトンというよりプランクトン。

 本人は目を閉じて陶酔しきってギターを弾いているというのが、よけい笑える。

 オレはコードの主音だけ押さえながら、ドラムスに目をやった。

 ドラマーはオレと同じ助っ人の英五さん。 ひどいギターですね、とこっそり目配せすると、英五さんも苦笑してうなづいた。

 それでも、リズムすらキープできないギタリストに合わせて音数を減らしたドラミングをしているところが、人柄というやつなのだろう。

 オレにはできない。そこまで優しくはなれない。

 落ちぶれたものだよな・・・。

 ときどき思うのだ。

 

 4年前、三十歳になったばかりのオレはプロを目指すバンドでベースを弾いていた。

 メジャーデビューにあと一歩のところまで来ていた。惜しかった。

 つまらないカネの貸し借りのもつれでバンドが解散さえしなければ、いや、たとえバンドがなくなっても、俺自身さえその気になっていれば、まだなんとかなったかもしれない。

 だが、オレはプロになる野心を捨てた。捨てざるをえなかった。

 当時恋人だった成子がかおりを妊娠したためだ。できちゃった婚である。

 まったくわかりやすい夢の断ち切られ方である。で、中途採用の会社で慣れない営業職を続けながら、酔っ払った素人さんのギターやヴォーカルに合わせてベースを弾くのが、唯一の趣味。これも、ほんとうにわかりやすい未練というやつだろう。

 「へい! ベース!」

 すっかり舞い上がったギタリストが、バンマス気取りでベースソロをリクエストした。

 ムカッときた。

 本気で弾いた。十六小節、三十二小節、六十四小節・・・延々とソロをキメてやった。

 ドラムスの英五さんもそれまでとは一転した熱いビートを刻んで応えてくれる。

 呆然とするギタリストをよそに、オレはひたすら狭い店内に重低音を鳴り響かせたのだった。

 

 「お疲れ様」の乾杯をすると、英五さんに「なにかあったのか?」と訊かれた。

 英五さんはオレより年上ということしか知らない。職業も本名もわからない。

 マスターとの会話からすると、近所の住民らしいのだが、、店の外で会ったことはまだ一度もない。

 ドラムスの腕前は「素人にしては、そこそこやるな」という程度だが、包容力があるというか、たどたどしいギターや音程をはずしたヴォーカルに辛抱強く付き合って刻むビートには、なんともいえない温もりがある。

 その温もりに甘えて、ここ数日、七五三の衣装を決めて以来ずっと胸に溜まってるもやもやを吐き出した。

 「キツイですよ、七五三ってのは」

 かおりが可愛くないわけではない。

 成子とかおりとの家族三人の暮らしは、幸せだ、と胸を張って言える。

 だが、七五三は、ちょっと違う。「良い」「悪い」という分け方ではなく、「違う」としか言いようがないイベントだ。

 「だってそうでしょ? 着せ替え人形みたいな格好をした子どもを連れてパパもママもおめかしして、はい記念撮影です、皆さんチーズ・・・なんて、違うでしょ、ロックじゃないでしょ」

 「照れくさいのか?」

 「っていうか、それをやったらおしまいだぜっていうか・・・」

 「なにがおしまいになるんだ?」

 「だから・・・うまく言えないんですけど、オレはオレなんですよ、いまはフツーのサラリーマンで、フツーのパパやってますけど、やっぱ、根っこはオレなんですよ」

 自分でもよくわからない。

 ただ、ふだんの生活では胸の奥に引っ込んでいる昔のオレが、家族のイベントのときにかぎって顔を出す。

 おいおい違うだろう違うだろ、そんなの違うだろ、といまのオレの肩を小突く。

 成子の両親にお祝いをもらい、ごちそうしてもらって、「どうもありがとうございます」と頭を下げる自分を、冷ややかに見ている自分がいる。

 かおりのお宮参りのときもそうだった。誕生日やクリスマスに成子の両親を招いてパーティーをするときも、そうだ。

 ミョーに不機嫌になり、無口にもなって、あとでその日の写真やビデオを見ると、ニコニコ顔の家族の中でオレ一人だけしょぼくれた顔になっているのだ。

 きっと、明日の七五三のお参りでもそうなってしまうだろう。

 英五さんは、なるほどね、と小さくうなづき、「学は音楽を辞めちゃったこと、後悔してるのか?」と訊いてきた。

 「・・・そういうわけじゃないんですけど」

 「でも、いまの自分が嫌いなんだろ?」

 「それも・・・ちょっと違うんですけどね」

 英五さんは笑う。オレの答えを最初からわかっていたような笑い方だった。

 「まだパパになりきっていない、っていう感じなのかな」

 「パパですよ、そんなの、もう、ずーっと。だから髪も切ったし、ネクタイも締めてるし、まじめに働いてるじゃないですか」

 だが、英五さんは笑うだけだった。

 「・・・なにが可笑しいんですか?」

 「いやあ、ガキだなあって思ってさ」

 他の奴に同じことを言われたら、断言してもいい、胸ぐらをつかんでいる。

 だが、英五さんの絵画をには、こっちの興奮を自然となだめるような余裕がある。

 「で、七五三のお参りはどこに行くんだ?」

 「近所ですよ、三丁目の三都神社。もうお祓いの予約してますから」

 一瞬きょとんとした英五さんは、次の瞬間、はじけるように声を上あげて笑い出した。

 「じゃあアレだ、学、青春の夢の残りカスをお祓いしてもらえよ」

 「オレ、真剣なんですよ」

 さすがにムッとして言い返すと、英五さんは、わかってるわかってる、と目尻に溜まった涙を拭いながら言って、また笑う。

 

 マスターからお呼びがかかった。ミック&キースを気取った二人組のオヤジが、ストーンズを演りたがっているのだという。

 『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』『サティスファクション』『ブラウン・シュガー』・・・定番の曲を演奏した。

 例によってヴォーカルもギターもひどいものだったが、英五さんはいつものように絶妙のドラミングで即席バンドの音を支える。

 優しいひとだと思う。オトナなんだな、とも認める。だからこそ、それが・・・いまはむしょうに腹立たしい。

 ベースの音がとがる。遅れ気味のリズムを待ちきれなくて、先走ってしまう。

 ミック&キースはともかく、英五さんにはそれくらいわかっているはずだが、なにも言わない。

 遅いギターと先走るベース、それぞれの顔を立てるようなスティックさばきを見せる。

 このひと、ほんとうはハンパじゃなく巧いのかもしれない・・・初めて思った。

 『ブラウン・シュガー』を終えて客席に戻りかけたミック&キースを、英五さんは呼び止めた。

 「『ホンキー・トンク・ウイメン』でもやりませんか?」と誘い、二人が乗ると、オレを振り向いて『付き合えよ」と笑う。

 「思いっきりベース弾かせてやるからさ」と、言われても。

 『ホンキー・トンク・ウイメン』はルーズなビートの曲だ。早弾きもないし、派手なチョッパーもキメられない。

 ベースとしてはなんの見せ場もない曲なのだ。


 「ヘイ! ベース!」

 間奏で英五さんにソロを渡された。

 難しい。

 スローでルーズな曲でソロを弾くことがこんなにも難しいとは思わなかった。

 張り切るとリズムをはずす。リズムをキープしているとトリッキーなフレーズが出せない。

 高校生バンドでもレパートリーになるような初心者向けの曲だと思っていたのは、甘かった。奥が深い。

 いままで得意だったアップビートの曲が、急にガキっぽく思えてきた。

 曲が終わり、ベースギターを肩から下ろすと、がっくりと落ち込んでしまった。

 そんなオレに、英五さんは言った。

 「遅い曲をどう弾くかが、ガキのベースとオトナのベースの違いだぜ」

 オレは素直にうなずいた。

 「プロのベーシストの代わりに、これからはオトナのベーシストを目指せばいいんじゃないか?」

 英五さんはそう言って、スティックを指先でクルッと回す。

 オレは素直にうなずいた。

 英五さんは多分、ベースのプレイのことだけを言っているではないと思ったから。

 「じゃあ、今夜はもう帰るから、また明日」

 何を言ってるんですか、と英五さんの背中に苦笑した。

 明日は日曜日、居酒屋『ハセガワ」』定休日なのだ。

 

 だが英五さんの言葉は嘘でも勘違いでもなかった。

 オレは英五さんに会った。

 三都神社の本殿で、神主さんのいでたちをした英五さんと。

 かおりの隣で唖然とするオレに、英五さんはすまし顔で一礼して、お祓いを始めた。

 玉串を神前に捧げるとき、ドラムスのスティックのようにクルッと回した、と思う。

 気のせいだろうか。

 神妙にうつむいて英五さんの祝詞を聴いていると、しだいに笑いがこみ上げてきた。

 違うよなあ違うよなあ、と首をかしげたい。でも・・・これも「あり」だよなあ、と最後はうなずくだろう。

 

 ふと見ると、晴れ着姿のかおりは長い祝詞に飽きて、足をぶらぶらさせていた。

 その動きを目で追って、リズムを合わせて、頭の中えベースを鳴らした。

 『ホンキー・トンク・ウイメン』よりもさらに遅く、複雑なリズムでも、それに合わせて弾きこなさないとな、と自分に言い聞かせた。

 

 まずは今日の会食、わが家のへそくりをはたくか、と決めたとき、どこからか、うんと遠くから、チャーチャッ、ズンチャチャーチャ、と『ホンキー・トンク・ウイメン』のイントロが聞こえてきた。 


      (了)

 

 大きな木はそこに存在するだけで神秘的なものを感じる。

 近年海外に出かけた際、必ずと言っていいほど『大木』『大樹』の写真を撮っている自分がいる。

 人間が自分の都合で枝葉を切らず、自然に育った樹木は本当に美しい。

 

 今回の旅で撮影してきた木々の写真から何枚か抜粋したものが以下の画像です。

 日本でならそれぞれが『御神木』と呼ばれてもおかしくないものでしょう。

 

 

   

 Bridge of Remembrance




 Lake Tekapo



 Victoria Square



 Mona Vale




 South Hagley Park




 North Hagley Park




 North Hagley Park



 

    

 オリックス中村ノリ選手が自身のコメントとして今季の怪我を公傷扱いにしてほしいと言っている。

 理由として、怪我しているのを我慢し、無理して試合に出場したので故障箇所が悪化したことが成績不振の原因だからと言っている。

 お前はそれでもプロかと言いたい。

 プロは結果が全て、怪我をして思うような結果が出せなかったのも実力。

 怪我をしていたとしても出た結果で総てが評価される、それが夢を売ることを商売としている”プロ”というものではないのか。

 年俸が大幅にカットされるのが不満なら、来季活躍して巻き返せばいいではないか。

 もっとも、こんなことでがたがた言っている選手を来季の試合に出してやろうという指揮官はどこにもいないと思うが。

 朝日杯フューチュリティーステークスで本田騎手騎乗のローレルゲレイロが2着に終わった。

 本田といえば超のつく強気の騎手として知られているし、それは彼の騎乗ぶりからもほとばしりでている気がする。

 今日のレースぶりも『勝つのは俺の馬だ!』と言わんばかりに正攻法で勝ちに行く彼らしい騎乗だった。

 しかし、『勝負』ということにこだわったとき、彼の競馬は他のジョッキーからすれば非常にマークしやすい存在だともいえる。

 今日のドリームジャーニーは決してローレルゲレイロをマークして勝利したものではなかったが、結果論的にいえば「本田の馬がいる位置」は非常にわかりやすかったといえるだろう。

 だが、こんなふうに書いてはいてもジョッキー本田優は私の好きなジョッキーのひとりだ。

 そして彼の正攻法なレースは若駒の実力を分析するとき多いに役立つ。

 たとえば今日のレースにアンカツのフサイチホウオウが出走していたならばどうだったろう。独断で言わせてもらえばローレルゲレイロよりも前でゴールしていたような気がするが、今日のドリームジャーニーの切れ味にはかなわなかったのではないだろうか。

 絶対的ポテンシャルにおいてはフサイチホウオウが勝っているが、はまったときにはドリームジャーニーの末脚に屈する場合があるといったところだろうか。

 3着のオースミダイドウについては前者の気性面が解消されたとしても、大幅な上昇は期待できないのではないか。

 そして4着フライングアップルも善戦馬としてこれから対戦していく馬たちの実力を判別していくうえで目安になる馬といった存在といったところだろう。

 

 クライストチャーチの中心街を南北に走るコロンボストリート沿い、大聖堂から北に100mほど歩いた通りの2階にサージェント・ペッパーズス・テーキハウス(Sargent peppers steakhouse)がある。

 テーブルが10卓ほどの小さなお店だが、いたるところにビートルズ(The Beatles)のパネルが飾られ、店の奥にはビートルズのメンバーが壁画として描かれている、もちろんBGMはビートルズ。

 クライストチャーチを訪れることがあったなら是非訪れてみたいと思っていたお店だ。

 混雑している時間にを避けて8時半頃店に行ってみた。ラストオーダーが9時だから待たされることはないだろうと考えてのことだった。

 一組の50代とおぼしきイギリス人ご夫婦(ロンドンから来たとのことだった)が待たれていたが、5分も経たずに席に案内された。

 店内はランプとテーブルの蝋燭だけの灯り、これも肉料理にはぴったりの照明。

 クライストチャーチ到着後の最初のディナーなので、どのステーキにしようか迷った。

 結局サーロインもヒレも食べたい要求を満たすためTボーンステーキを、ソースはまずは無難にマッシュルームソースを選んだ。

 ステーキが運ばれてくるまでの時間は壁一面のビートルズの面々のパネルを見て楽しめばいい、そんなふうに考えていた。

 初期の頃の写真が多い、ドラムがピート・ベストだったクォーリーメン時代のパネルもあった。

 確かな記憶ではないがオノ・ヨーコさんの写真は1枚もなかったように記憶している。

  


 

 お店に上がっていく階段にも多数のパネルが

 

 この店のオーナーはビートルズの解散原因をオノ・ヨーコさんだと考えているファンの一人なのだとしたら、少し残念に思う。

 あまり店内をじろじろ見回すのも他のお客に対して失礼だと思い、じろじろ見ることは遠慮していたのだが、私の前に案内されたイギリス人夫婦のテーブルに料理が来ていないのは当然としても、他に3組のテーブルでナプキンが置かれたまま料理を待っているグループやカップルがいた。

 ひょっとして自分は最後だから5番目か?かすかに不安を感じた。

 30分ほど過ぎた頃、やっと1組のカップルのテーブルにステーキが運ばれてきた。

 素人としてはステーキを焼くだけの料理になんで30分以上(席に着いてから30分なのでそのカップルが何分待っていたのかわからない)もかかるのか、ちょっと日本人としては理解出来ない。

 まあ国が変われば時の流れが変わるのはこれまで何度も体験していることだから、スマイルsmile。

 『同じオーダーが前後して入ったからといって二枚を同時焼くような習慣はないのだよcologne君!』

 私の中で余裕のあるもう一人が話しかけてくる。

 『そうだよ、肉を1枚切る度に肉を冷蔵庫に戻し包丁もしまうのさ、客が何人待っているのかなんてことは料理人には関係のないことなのさ』

 そんなふうに考えて”待つ”ということを楽しんでいると、ひとりの客が店にやってきた、中年の白人ビジネスマンといった感じだ。

 もうラストオーダーの9時を20分程過ぎている。

 客を入れるのは店の勝手だから別に構わないけど、今から注文したって料理が出てくるころにはいったい何時になっているのか他人事ながら心配してしまう。

 そのビジネスマンはしばらくすると本を取り出し読書していた、常連さんなのかも。

 そしてさらに20分が経過した午後9時40分、やっと待ちに待ったステーキが運ばれてきた。

 




 

 普段はmediumrareなのだがT-bone steakの場合は骨回りの肉に火を通し、骨から切り離せるようにwelldoneに

 焼き加減を間違えないための”旗”が可愛い

 店内の写真は食事を楽しんでいる方々で満席だったので撮影を控えました。

 

 注文してから待つこと1時間と10分、これが7時や8時の入店だったら待ち時間はどうだったのだろう、そんなことはこの際考えないことにして料理をいただいた。

 もともと肉料理が大好きだが、肉が柔らかければ美味しいと勘違いしている方が多い昨今だが、私はじっくりと肉を噛みしめている間に肉そのものの持つ”旨味”が出てくるタイプの肉が好きだ。

 そういう意味においてニュージーランドの肉は旨い。

 この夜もそれなりに美味しいステーキをいただいた。

 

 ただあえて書かせてもらうなら、今回の旅行で食したステーキの中では、この店の肉質と味は最上位ではない、待たされた時間に関係なくだ。

 しかしこれはたまたま、それ以降のお店で食べたステーキが私の口により合ったものだったからだといえる、サージェント・ペッパーズ・ステーキハウスの肉は充分美味しかったのは間違いない事実なのだから。


 



 お店を出た頃はもう午後10時半頃、お店の看板もひっそり

 

  

 つづく


 ちょっと前だが、昔から唄っているプロ歌手の現在の生歌をオンエアーで聴いた。

 ”○partures”などのヒットがあった『○lobe』、”寒い○だから・・・”の『○RF』、往年の”戦争を○らない子供たち”の『杉田○郎』、”○歳の別れ”の『○勢正三』。他にもまだまだたくさんいるのだが書ききれない。

 彼・彼女らに共通しているのは全盛期の声や音域が全く出なくなってしまっていること。

 キーを下げていても全く高音部が出ていない。そしてそれは、その唄を聴くこと自体が、こちら側にストレスを溜め込んでしまうと感じるほどのものだった。

 すぐにchを切り替えた。

 でもひょっとしたら、さっきのは自分の聞き間違い又は一時的に自分の耳がおかしくなってしまっていたのではないかと考え、再度chを戻してみたが、それは聞き間違いでもなんでもなく否定しがたい事実だった。

 彼らにもそれなりの事情があって一時期唄うのを辞めたり、音楽活動そのものを中断していたこともあっただろう。

 しかし『プロ』としてお客からお金をいただいて舞台で唄う以上、恥ずかしくない最低限のレベルには戻しておいてほしかった。

 年齢のせいにしてはいけない。

 吉田拓郎や中島みゆき、岩崎宏美が今でもあれだけ唄えるのは日々のヴォイス・トレーニングがあるからではないだろうか。

 人から聞いた古い話だが、戦後まもなくヒットした”りんごの「歌」”の歌手”『並木道子』は亡くなるまで終生、この曲の『キー』を変えることがなかったらしい。

 聴いてくださるお客様のイメージを壊したくない、それが理由だったそうだ。

 


 それはニュージーランド旅行出発の5日前、夜明け前午前4時頃のことだった、青ざめた顔色の息子が私を起こしにきた。

 嘔吐と激しい下痢に発熱、ラッパのマークの正露丸を飲んで我慢していたらしいが、これは救急病院に行かないとどうしようもないと判断し、私を起こしに来たのだった。

 救急病院での診断は急性腸炎、点滴を打ってもらい、とりあえず2~3日は安静にしているようにとのことだった。

 息子には悪いが、そのとき嫌な予感がした。

 昨年夏、パリ旅行直前に腎臓結石で救急車で病院に搬送されたのを思い出したからだ。

 悪い予感はほとんど当たる、競馬予想もこれくらい当たれば楽勝なのだが。

 そして二日経過後の朝、旅行出発の三日前だ。

 激しい嘔吐と下痢に襲われた。 やっぱり!

 嘔吐はそれほどでもなかったが、下痢はひどかった。

 体中の水分という水分が全て失われていくのではないかというほどの下痢症状だった。

 何も水分を摂取しなければ脱水症状を起こすかもしれないと思い、少量づつ水分を補給するものの1時間おきにトイレに駆け込まねばならなかった。

 あと三日あるからなんとかなるかも・・・そう考えてひたすら安静にすることにした。

 

 今にして思えば、あれは『ノロウィルス』による感染だったのではないかと疑っている。

 私と息子以外の家族やそれ以外の方々に感染しなかったのが不幸中の幸いだった。

 

 そしてなんとか出発当日には回復した。

 当日の関空はあいにくの雨模様、ネットで確認していたクライストチャーチもずっと雨マークになっていた。

 私は自慢の『晴れ男』なのだが、今回はさすがに体調不良につきそれも望めないなと、なかばあきらめの境地だった。

 フライトは夕方17時10分JALとAirNewZealand共同便だ。

 

 私は基本的に一人で搭乗するときは3人掛けのBシートを指定する、2人で搭乗する場合ならA・Cのシートを指定する。

 こうしておけば満席にならない限り3人掛けの座席をささやかなプライベート空間として確保することが出来る。

 

 関空発、クライストチャーチ経由オークランド行きJL5198便はほぼ満席に近い状態だった。

 観光客はクライストチャーチへ、仕事関係で行く人はオークランドへといった感じだ。


 日本を夕方に発ってクライストチャーチまで約11時間のフライト、時差が4時間(サマータイム)のため現地時間で朝の8時過ぎにクライストチャーチに到着する予定だ。

 

 

 

 着陸態勢に入る頃、窓から差し込む日差しは強烈なものだった。

 客室乗務員がクライストチャーチの気温が14℃天候は晴れだと伝えている。

 この強い日差しの中、気温はたったの14℃? ちょっと想像がつかない。

 

 入国審査を終えcity(クライストチャーチ)行きのバス乗場に向うため空港を出て外気に触れたとき、日本ならセミが鳴いていそうな日差しにもかかわらず、さわやかな春風がそよぐ心地よさに25年ぶりの南半球訪問を実感した。

 


 

ChristchurchといえばなんといってもCATHEDRAL(大聖堂)

ここが市内交通の拠点

 

 わずか4~5年前には1NZ$が40~45円だったレートが80円を超えている現在、以前に旅をされた方々から聞く話は物価面に関しては全く参考になりません。

 それでも銀行での通貨両替に関しては大変良心的な国でした。

 空港内での両替は金額に関わらず1%(BANK of Newzealand)、市内なら換算レートの表示額そのままで両替が可能でした。

 この点については両替手数料を換算レートに予め含んでいるものと考えるべきですが、それでも日本国内の銀行での換算レートやEU圏内での両替で苦い思いを何度も経験した私にはありがたいシステムだと感じました。

 



 Christchurchでの拠点としたB&B ”The Grange Guesthouse”


 オーナーの作るBreak fastのSunnyside upは卵そのものの旨味もあって最高でした。

 地球の歩き方に投稿しよう

 

  つづく(と思う)

 

 

  

 

 

 しばらくぶりの更新だ。

 今回は約2週間にわたって南半球ニュージーランドを旅してきた。

 例によって旅行社のツアーではないので、ホテルにばかり泊まっていると人と会話しない期間が長くなるのも淋しいので宿泊施設を考えた。

 バックパッカーズ用の宿泊施設は設備的はちょっと苦手なのでB&Bにすることにした。

 

 地図上ではEU圏諸国より近そうに見えていてもやはり10時間以上のフライトには疲労気味だから旅の詳細についてはまた後述することにしよう。

 

 とりあえず「美しき国NewZealand」の中でもとりわけ絶景だった"Lake TEKAPO"を一枚








 ターコイズブルーが美しい「テカポ湖」


 

 

 ディープインパクトのセミ・ラストラン、ジャパン・カップも観ずに出かけてしまったが、しっかりVTR観戦。

 「普通の強さで勝ったなあ」というのが第一印象だったのと、あの馬体の絞り方を凱旋門賞のときにしていれば・・・。

 これはLIVEで観ていない人間としての感想だろうし、生で観ていない者が後からあれこれ言うべきことではないし、そんな資格もないことだろう。

 ディープインパクトのラストラン有馬記念を心から応援したい。

 それは久しぶりに体の中を電流が駆け巡るような衝撃だった。

 中島みゆきがつま恋のステージに現れ、この曲を歌ったことを事前に知っていながら、それでもなお体が震えた。

 吉田拓郎と中島みゆきのツーショット、さらに言えばその背後で指揮をとっているのは瀬尾一三だ。この三人が同じステージにいること自体が驚きなのかもしれないが、そんなお膳立てなどに全く関係なく、このステージのこの歌に打ち負かされた。

 

 ややこわばった表情の中島みゆきだが、その目に宿る強いオーラ

 それでもなおかつ彼女でさえ緊張しているのが伝わってきた右手で左肘を強く握る立ち姿

 ステージを去り際のバックコーラスの女性とのハイタッチ

 

 中島みゆきにはある意味吉田拓郎以上の深い思い出がある。

 ~永遠の嘘をついてくれ~は吉田拓郎がもがき苦しみ、作品が生み出せなくなっていた時期、彼女に依頼して出来た作品だと聞いている。

 この話は多分真実だろう。そう思えるくらい詩の内容は男に対する熱い想いをいまだに抱きながらも叱咤激励し、そして最後まで貫きとおしてほしいと願うエールが込められているからだ。

 しかしそういった過去のいきさつを抜きにしても、この作品の”つま恋”のステージでのジョイントに震えた。

 生涯忘れられないステージとなった。

 

 ありがとう吉田拓郎、瀬尾一三、そして中島みゆき

 

 

 ~永遠の嘘をついてくれ~  詩/曲 中島みゆき  編曲 瀬尾一三

 

ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便は まだまにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば
けっして行けない場所でもないだろう ニューヨークぐらい
なのに 永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている
永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ二人とも旅の途中だと
君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ


この国を見限ってやるのは俺のほうだと
追われながらほざいた友からの手紙には
上海の裏町で病んでいると
見知らぬ誰かの 下手な代筆文字
なのに 永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる
永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと
君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか


傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに
たとえ くり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを 聞けるまで尋ね続けてしまうものだから


君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ
君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

 

 

 

 

 幸四郎くんの顔つきがこれまでとは全く違っていた。

 「勝っちゃいましたね♪」なんてインタビューで答えるのかと思いきや、そんなちゃらちゃらしたところは影を潜め、真摯な態度で応えていた。

 一皮むけた彼の今後を大いに期待したい、そしていつかは1番人気の馬でG1レースに勝利する幸四郎くんを見たい。

 

 ディープインパクトの凱旋門賞の敗戦についての自分なりの感想は下書きとして書いたのだがUPしなかった。

 それについては、調教のハードさとその影響による筋肉の鎧(よろい)がディープインパクトに疲労を残し、余計な筋肉の鎧が最後の瞬発力を発揮出来なかったと感じたからだ。

 しかし菊花賞のメイショウサムソンまでが不要な筋肉の鎧をまとって出走し、直線失速していった姿を見るにつけ、書かないではいられなくなった。

 

 競馬はそんなに単純なものではないことは理解しているが、ハードな調教に耐えて順調にきた馬が疲労から闘争心をなくし、あるいは余計に付いてしまった筋肉の鎧で瞬発力を発揮出来なかったケースは過去に数多い。

 

 素人の一意見に過ぎないが、そのおかげで菊花賞のパドックで一番良く見えたソングオブウインドと大好きな横山ジョッキーの馬単18-13をGET出来たのだから、”素人の目”も捨てたもんじゃない。